これまた今更感があるのですが、時代劇を見ていてわかりにくいところと友人から言われ、ここでまとめるのも楽しいかなと書いてみました。細かくは時代によりますが、新中国(1949年〜)になるまで通底する婚姻制度について、ざっくりと。
1,一夫多妻でなく一夫一妻多妾制
旧中国では一夫一妻制であり、正式な妻は一人。正妻以外は原語で言うなら「妾」。現代日本語の「妾」と違い法律の規定もあるので、「正式な妾」が成立。正妻は年齢により「太太」「奶奶」などと呼ばれ、妾は「(名字)+姨娘」「姨太太」や通名など。姨は妻の姉妹の意味。妻妾は同じ夫に侍る姉妹、「姐姐(お姉さま)」「妹妹(妹)」と呼び合ったり。妾の序列は単に輿入れの順番で、大太太(正妻)、二姨、三姨‥など。
日本の細かい制度は詳しくないんですが、例えば平安時代などは少なくとも序列や第一夫人はいても、複数の配偶者は認められ妻とみなされるかと。支配階級のみならず、民間でも二号さんなど今よりは公に認められていたんだろうと思う(かなり大雑把ですいません)。あとは妻妾同居、これは日本で一番馴染みがないのでは。
2,妻妾同居が原則
日本だと民間なら妾は別宅に囲う、支配階級でも大名なら上屋敷下屋敷と分けるなど、多少の分離がなされる傾向がある気がします。しかし旧中国は民間までも妻妾同居、別宅に囲おうものなら正妻は嫉妬深い女と蔑まれ、夫は恐妻家とバカにされます。
名作「紅楼夢」でも賈璉が正妻を恐れ、尤ニ姐を別宅に囲う描写が。既成事実を作りのちに屋敷に尤ニ姐を迎えればと賈蓉らとの悪巧みもあっさりバレて‥という生々しい妻妾成群のエピソード。特に準正妻格の女性を別宅に囲うのを「外室」と言うのですが、よく知らないので《知否》(2018)に出てくるのを見てみたい。
3,「滕妾」「ニ房」
とはいえ歴史を見れば、半分正妻半分妾みたいな存在も。「滕妾」は古く春秋戦国時代、ドラマで言うならミーユエ、正妻の腰入りに随行する妾たち。二国間の婚姻であり出自も高く、他の妾より格上。滕妾が産んだ王子は正妻の子とみなされるらしいです。そのための存在らしく、子どもがいなかったら立場なさそう。
「ニ房」「外室」はそれこそイレギュラー、民間でもあり、準正妻らしい。一夫一妻制を守ろうとすると、娶りたいけれど既に迎えた正妻と身分が衝突するなど不都合も‥。尤ニ姐もニ房として賈璉に嫁入りし、療養中の熙鳳が死ねばゆくゆくは正妻にと丸め込まれています。
唐代には太平公主との結婚のため、武則天が婿の元配妻子(初婚の妻)を処刑したといいますし、夫の出世が夫婦の悲劇につながるよりはいいのかな。近代でも末代皇弟の愛新覚羅・溥傑が、既に唐氏という正妻がいるのにも関わらず、嵯峨浩との政略結婚のため離婚したとか。
戯曲《琵琶記》の元のお話は酷い結末。しかしいずれにしろ、テーマは糟糠の妻と出自の高い妻、夫の重婚なのは同じ。東漢(後漢)の光武帝も、姉の湖陽公主・劉黄が既婚者と結婚させてほしいとせがんだので男性本人に打診し、彼の返答から《糟糠之妻不下堂》の成語が生まれたのは有名。
※かきかけ
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-28142801"
hx-vals='{"url":"https:\/\/hungmei.exblog.jp\/28142801\/","__csrf_value":"d8ff4373e901179ca368fe8f82144ab32f077aae4ac43ef1c77c6583d6df4f24f66909e05c328734486f36b46d0177f04e4168738d8ec039162459ac4c3424eb"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">