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瓜爾佳氏
完全なる趣味、主観からピックアップした人物紹介。取り上げるのは末代皇帝溥儀の生母にして、自殺し人生の幕を閉じた二代目醇親王妃の瓜爾佳(グワルギャ、グルジア)氏。幼名は幼蘭、享年37歳。醇親王(奕譞)の継室ではなく、二代目醇親王(載灃)の元配という高い身分の外命婦です。
西太后の大姪、父は西太后母方甥で軍機大臣の栄禄。鑲白旗人。西太后は無能な義兄を重用し、奕譞自身も泣いて爵位を辞退したほど。その息子載灃(義理の大従甥)に自らの大姪を娶せ、生まれたのが溥儀・溥傑兄弟。
まわりを身内で固めるのは政権維持の常とはいえ、溥儀の実祖母にあたる初代醇親王側福晋・劉佳氏は、息子の載湉(後の光緒帝)が同治帝の後継に選ばれた際、一時的に発狂したとか。嫡福晋・葉赫那拉氏は幼名を蓉児、西太后の同母妹ですが子はなし。
劉佳氏が憂慮したとおり光緒帝は悲惨な状況下で亡くなりますが、これまた後継がいない。では誰が?となり選ばれたのは、またしても醇親王家(今度は初代でなく二代目醇親王・載灃、光緒帝の同母弟)嫡出子の溥儀。このへん近親すぎる。
間もなく西太后死去、後宮では光緒帝皇后の隆裕太后と、姑の同治帝四太妃らとが対立。正妻であった隆裕太后と、妾とはいえ姑の四太妃。同治帝は享年19歳、四太妃は後宮で長年暮らす猛者。溥儀の退位書は隆裕太后が署名するも、生涯不和は続いた様子。
四太妃のリーダー的存在だといわれているのが瑾妃他他拉氏。この方のみ同治妃嬪でなく光緒帝妃。実妹は光緒帝の珍妃です。実姉の瑾妃もさぞかし無念だったとは思うけれど、この方、醇親王家に嫌がらせ、女性陣への迫害が有るような。自己顕示か政争か面子か。
珍妃の姉、瑾妃他他拉氏
対外的には滅亡したものの1924年のある日、醇親王妃瓜爾佳氏は太妃達へ挨拶に。そこで瑾妃といさかいが発生。帰宅後の夜、瓜爾佳氏は自ら鴉片を飲み自殺したのでした。
瓜爾佳氏は愛新覚羅慧生、日本で男子学生と心中し世論を騒がせたーの実祖母。初代の子からは光緒帝、二代目からは宣統帝を出した醇親王家。西太后同母妹を正妻に迎えたのは、吉か凶か。結果的に凶かな。