自分の中では今更感があるものの、昨年は本国でも清朝時代劇ブームがありましたし、多分日本での《延禧攻略》(瓔珞)や《如懿伝》放送もそこそこいいみたいで‥せっかくだから気になる女性服飾についてまとめメモ。満族女性は資料が多そうなので、漢族&満漢混交に重点を置いて。
【変遷】
・清初
それぞれ独立し混合が始まる
・中期
満族の漢化が進み纏足の流行など
・晩清
影響し合った清代服飾爛熟期
端的な伝世の写真があり、晩清の漢族女性、満族女性。左は漢族、上衣下裳(上着とボトム)、髪型も破鬢梳など晩清漢族ならでは。右は満族女性、ドラマでもお馴染みの旗頭に足元まである旗袍(長い上着)。この女性は馬甲、被坎(ベスト)をつけており、ウエストラインに線が入っていますが‥。
上衣下裳は襦裙が基本形。写真は白の交領中衣(着物の襦袢みたいなもの)、半臂襦(上着)、裙子(スカート)。漢族の服飾は常に周辺民族と影響しあい完成されましたが、明代には唐代の風俗に戻すことを強調。理由は宋、元を経て異民族との戦争や支配が終わり、文化の影響からも脱却しようとしたようです。
この写真使っていいのかな…。《87央視紅楼夢》から、宝玉の賠身丫頭の襲人。これはやはり交領中衣、赤の対襟背心(袖がない合わせ襟の上着)、裙子。今は違いますが、かつての時代劇はどの時代のものでも、この「明朝」ふう風俗で撮影されることが多かったらしい。
閑話休題。清朝になるとはじめは満族の漢化著しく、精神文化にとどまらず纏足の流行にまで発展。清朝は順治年間に一度、康熙年間に二度、民族にこだわらず纏足禁止令を出しましたが効果なし。
それまでも男性は辮髪など《生降死不降、男降女不降、老降小不降》という政策をとり、漢族女性に満族式風俗の強制はありませんでした。しかし逆に支配側に属する満族女性の纏足、顕著な漢化は見過ごせず、乾隆年間にはついに満族限定纏足禁止令が。ただし効果は薄かった。
そこで発展したのが、満族女性服飾の花形・花底鞋。満族は本来、服装も騎馬のためスリット入りの長い上着、ズボン、靴も活動的なもの、かつ性差が少ないのが特徴。清代の皇帝皇后正装を見ても、女性の最も公式な服は、男性官員のそれと非常に近いです。
そこで纏足に感化されたであろう結果、ハイヒールでよちよち歩く事により纏足の艶やかさを再現したとか何とか…。漢族の女性は纏足、踵が高く先の尖った弓鞋など。だから貴婦人は侍女によっかかって歩くのかな。
他には袖の太さ。満族は本来動きやすさ重視でぴったりした窄袖でしたが、中晩清の旗袍は袖が広めに。逆に漢族では満族風の襟が取り入れられ、特徴的な縁取りの大袖衫や鑲辺短衫と呼ばれる上着が定着。
鑲辺=ふちどりのことで、この時代に袖や襟の特徴的な縁取りが確立。かなり袖が広く、裙や大口渾(ズボン)の上に着ます。そしてスカートは特に江南、杭州などで発展、明代からある馬面裙というデザインが興隆を極めます。
真ん中にメインの柄が入り、横には精巧なプリーツをつけ、動くたびに美しく揺れるスカートはこの時代の服飾文化の最高峰。手が届かない農民、庶民、使用人etc.の女性たちも美しいスカートに憧れを抱いたかも。
晩清民初には写真も多く残され、上は閩南独自で今まで紹介したものとはディテールは違えどイメージとしてはこんな。この時代、既婚女性は額の生え際をなめらかにするため糸で生え際の髪の毛を抜いたので、でこっぴろに見える写真が多い気がする。
近年は直近の封建時代である清朝ーー満漢混合の風俗ーー以外のところ、清代以前の「漢服」を楽しもうという風潮も。明にとどまらず宋にも感心が集まっている感じ。宋代服飾はこれまた独特で見ていて楽しい。チャイナドレス、中山服(孫文が由来)など廃れたわけでなく、興味か広がっているみたいです。