- 皇后、皇太后をまとめたし、明代から始まり清代では定員一名の皇貴妃。これはまとめられるのでは?とがんばりました。ボリュームそんなでもないのですが。
- 精度はご容赦ください。初代努尔哈赤(ヌルハチ)、二代皇太極(ホンタイジ)は初期で皇貴妃の位階なし。末代宣統帝は該当者なし。間違いは有ると思うのでご教示下さると嬉しいです。
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※皇帝の妃嬪位階
→皇后(正妻、一人)、皇貴妃(妾、一人)、貴妃(二人)、妃(四人)、嬪(六人)、貴人(以下定数・品階なし)、常在、答応、官女子
※通常、皇后がいれば皇貴妃は空席。喪中など立后の処置が取れないなど、皇后をおけない(もしくはおかない)時期は皇貴妃が後宮を統括する慣例。そもそも皇貴妃の定員は一人、死後追尊も多い。
あまり並列しないため、乾隆の継皇后輝髪那拉氏か剃髪したのは、自分が皇后にも関わらず魏佳氏の皇貴妃冊立への抗議だったと推測する説もある。皇后がいて皇貴妃もいるのだと面目丸つぶれ?
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- ●三代清世祖(順治帝)
- 皇貴妃董鄂(ドンゴ/とうがく)氏
- (追封皇后だが死後は皇貴妃格での扱い、孝献皇后。妹の貞妃董鄂氏が順治帝に殉死させられたのは、やはり孝庄太后のお声掛かりなんでしょうか)
- ●四代清聖祖(康煕帝)
- 皇貴妃佟佳(ドンギャ)氏
- (追封で孝懿仁皇后)
- 悫惠皇貴妃佟佳氏
- (皇貴妃佟佳氏の異母妹)
- 惇怡皇貴妃瓜尔佳(グルジア)氏
- (四阿哥=雍正帝養育、皇貴太妃に追封)
- 敬敏皇貴妃章佳氏
- (もと張雅氏、皇帝陵に陪葬された最初の皇貴妃)
- ●五代清世宗(雍正帝)
- 敦肃皇貴妃年氏
- (甄嬛伝の華妃のモデル、年羹堯妹)
- 純悫皇貴妃耿氏
- (延禧攻略の裕太妃モデル)
- ●六代清高宗(乾隆帝)
- 嫻皇貴妃輝髪那拉氏
- (継室、立后されるも諡号なし、如懿伝主人公、延禧攻略嫻妃、還珠格格の皇后烏喇那拉氏のモデル)
- 令懿皇貴妃魏佳(ウェイジア)氏
- (追封皇后、嘉慶帝生母、延禧攻略主人公魏瓔珞、還珠格格令妃のモデル)
- 慧賢皇貴妃高佳(ガオジア)氏
- (包衣出身、高氏から賜姓、延禧攻略の高貴妃のモデル)
- 純惠皇貴妃蘇氏
- (如懿伝、延禧攻略の純妃のモデル)
- 哲憫皇貴妃富察(フチャ)氏
- (皇長子と皇二女の生母)
- 淑嘉皇貴妃金佳(ジンジア)氏
- (金氏から賜姓、拾旗、如懿伝や延禧攻略嘉妃のモデル)
- 慶恭皇貴妃陸氏
- (如懿伝、延禧攻略に出ているが記憶が曖昧)
- ●七代清仁宗(嘉慶帝)
- 皇貴妃録祜禄(ニウフル)氏
- (追封で孝和睿皇后)
- 恭順皇貴妃録祜禄氏
- (金枝欲孽/邦題「紫禁城華の嵐」如妃のモデル)
- 和裕皇貴妃劉佳(リュウジア)氏
- (清末の宗室で有名な僧格林沁の外祖母)
- ●八代清宣宗(道光帝)
- 全皇貴妃録祜禄氏
- (追封で孝全成皇后、咸豊帝生母、死因に謎が残る)
- 静皇貴妃博爾済吉(ボルチギット)氏
- (追封で孝静成皇后、恭親王生母、咸豊帝養母)
- 庄順皇貴妃烏拉(ウラ)氏
- (光緒帝の祖母、位階の浮き沈みがみょうに激しい。というか、道光帝の後宮では位階の上げ下げがやたらに多く理由もはっきりしなかったり、謎)
- ●九代清文宗(咸豊帝)
- 庄静皇貴妃他他拉(タタラ)氏
- (唯一の公主生母、映画「西太后」で四肢切断壺漬けされていた麗妃、実際には御長寿)
- 端恪皇貴妃佟佳氏
- (道光朝生まれ、1910年までご存命で五朝を経験)
- ●十代清穆宗(同治帝)
- 淑慎皇貴妃富察氏
- (西太后に皇后に推されたがならず)
- 庄和皇貴妃阿鲁特(アルート)氏
- (皇后阿魯特氏のおばだが年下、四大太妃の一人、蒙古八旗出身)
- 敬懿皇貴妃赫舍里(へシェリ)氏
- (1932年に荣寿固倫公主府で卒、四大太妃の一人)
- 荣惠皇貴妃西林覚羅(シリンギョロ)氏
- (1933年に荣寿固倫公主府にて卒、四大太妃の一人で最も長生き)
- ●十一代清德宗(光緖帝)
- 端康皇貴妃他他拉氏
- (瑾妃、1912年卒、四大太妃の中で唯一光緒帝妃嬪、宣統帝溥儀実家の醇親王家の女性をやたらに自殺に追い込んでいるイメージが……溥儀祖母の醇賢親王第二側福晋劉佳氏や、生母の醇親王妃烏拉瓜爾佳氏など)
- 恪順皇貴妃他他拉氏
- (珍妃、井戸落ちで有名、1900年卒、瑾妃の同母妹)
※四大太妃
宣統帝即位後、光緒帝皇后だった隆裕太后葉赫那拉(エホナラ)氏(西太后姪)と対立した四人の太妃たち。葉赫那拉氏死後はさらに幅を利かせた。同治帝妃が三人、光緒帝妃が一人、とくに嫁で格下のはずの光緒帝の瑾妃他他拉氏が舵取りをしていたとか……