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清朝歴代皇后

 

   あったら便利かなと、手持ちの本から構成。初期は後宮制度が整う途中で側妃、庶妃や格格(最低ランクの妾)などから、次第に後年の皇后(嫡妻、一人)、皇貴妃(妾=側室、定員一人)、貴妃(二人)、妃(四人)、嬪(六人)、貴人(以下定員なし)、常在、答応、官女子。

  ここでは諡号の簡易版を載せてあり(正式なものは二十文字前後など)、規則は「孝」+「皇后本人への諡が一文字」+「夫である皇帝の諡が一字」+皇后。

  皇太后になった人や追尊皇后(死後)も含め載せています。他の王朝より清朝は嫡庶に緩やかで、皇后=皇帝嫡妻もしくは側室でも皇帝生母。前者は皇帝嫡母、後者は皇帝生母かつその他妃嬪の子らの庶母ですが、格は嫡母が上。

   例が東太后と西太后で、皇帝の産みの母は西太后でも側室のため、あくまで序列は嫡妻だった東太后が上。「東」とついているのも、居住した宮殿の場所からきていますが、当時は東西だと東が上、西が下のため。

    皇帝と合葬するときも嫡妻が優先されるのが原則。皇太后になるかどうかは、次代皇帝即位時に存命かどうかで決まるようです。亡くなっていれば、特に追贈されない限り皇太后にはならないと思う、てなくらいの知識で書きました。




   諡号(おくり名、死後にその徳や業績に合わせ贈られる、ーー皇帝/大王、ーー皇后など)と、廟号(祠堂に祀るための名前、皇帝だとーー宗、ーー祖)、区別が難しいし、今もそれほどわかりません。后妃が存命中に使う徽号もあります。

   朝鮮王朝は王妃が死ぬと、王様は初婚の女性を王妃に迎えますが、清朝では側室から格上げ。そのため皇帝が在位中に皇后を迎えるのはそれほどなく(大婚といい清朝の歴史で四回)、その時だけ皇帝専用の大清門を通れとても名誉。

  そんなふうに皇后となった、同治帝の皇后阿魯特(アルート)氏ですが、西太后は皇太后の座を彼女に譲らず、皇后に留める鬼畜な行い。

  前前代の生母でもあくまで皇帝との血縁で決まるため、本来は同治帝死後はその息子世代の皇族から跡継ぎを選んで皇太后から太皇太后になるはずが、次に擁立したのは同治帝従兄弟の光緒帝。

   そうすると西太后は皇太后のままで太皇太后にはならず、夫と同輩の皇帝では阿魯特氏は皇太后になれない。大阿哥こと愛新覚羅・溥儁(保慶帝)を擁立しても反対があり、すぐ撤廃するなど、父子相続ルール完全無視。

   中国の他の王朝、例えば前漢はより嫡庶に厳しく、皇后を経ずして皇太后になったのは確か文帝生母の薄太后のみ。魏晋南北朝は嫡母が皇太后に、生母は皇太妃になるイメージ。ただ清朝で妃嬪はほぼ旗人や包衣(満族、蒙古族、漢族、朝鮮系など)の特権階級ですが、宋明は娼妓出などの侍妾も。

  選秀女でも妃嬪選抜のものと宮女選抜のものが別個あるので、お手つき宮女から妃嬪になっても一般市民の漢族はあまりない。あっても後から八旗に入れる。例外は和平で嫁いできた乾隆妃の容妃和卓(ホージャ)氏で、香妃伝説のモデルになったウイグル族のお姫様。また、清初は外交絡みで朝鮮人后妃・宗室の妻妾多し。

  明では万貴妃に隠れて次代皇帝を産んだ紀妃が、戦争捕虜のヤオ族出身。身分も低く漢族でもない、さすが他民族国家。皇帝生母ながら散々な目にあった、北宋の李宸妃とどっちがましか。

  前漢武帝生母の王皇后は後宮に入る前結婚し娘あり、武帝二代目皇后の衛子夫は陽阿公主府の歌妓出身、嫡庶には厳しくても、嫡妻にするかどうかは清朝より自由かも。

※読みカタカナはだいたいの目安です

太祖高皇帝(ヌルハチ)
※太祖が廟号、諡は「高」で、正式な諡号は大変長い。本人にもその妃嬪にも後世に行くたび上乗せ、結果、二十文字前後に。美字が増やされたり、「皇孝」「皇祖」などが加わる。

・孝慈高皇后・葉赫那拉(エホナラ)氏
  嫡妻でホンタイジの生母。死後追尊。名前は「孟古哲哲」。遡るとモンゴル系、海西女直(愛新覚羅氏は建州女直)出身。ヌルハチ妃は追尊皇后でもおかしくない人がいるが(元配の佟佳氏とホンタイジ嫡母の富察氏)、冊立されたのは那拉氏とこの方のみ。まさに母貴以子。

・孝烈武皇后・那拉(ナラ)氏
  元妃、睿親王ドルゴンの生母。名前は阿巴亥(アバハイ)。殉死を強制された。ドルゴンの側杖をくって順治年間に一度降格、復帰は雍正朝。孝庄太后もの、ドルゴンものドラマでは、この人の処刑が幕開けなことが多い。

太宗文皇帝(ホンタイジ)
・孝端文皇后・博爾済吉(ボルジキット)氏
  嫡妻、名前は「哲哲(ジェルジェル)」。「孝庄秘史」、「宮廷の泪」に登場。孝庄太后のおば。公主三人、皇子がいない嫡妻という立場は複雑そう。

・孝庄文皇后・博爾済吉氏
 孝庄太后
  五人の后妃が格付けされたときはビリの西宮側福晋庄妃。モンゴル名は「布木布泰(ブエンブタイ)」、俗説には大玉児。のちにドルゴンとレビート婚した噂(太后下嫁)。順治帝生母、康熙帝祖母、準垂簾聴政を行った、清朝初期の女傑。夫の最愛の妃にして姉だとされていた海蘭珠(敏惠恭和元妃)は、近年の研究で実はおばだとわかったらしいです。

世祖章皇帝(順治帝)
・廃后・博爾済吉氏
   初代皇后、孝庄太后の姪。不仲で廃后、諡号は静妃。皇帝生母の姪が嫁になり不和の典型。乾隆皇后で廃后されずとも、諡号なしの輝髪那拉氏とどっちがましか。モンゴル名「额尔德尼布木巴(読めない…)」。

・孝恵章皇后・博爾済吉氏
 仁憲皇太后
  二番目の皇后、孝庄太后の姪、このころはモンゴルとの和睦重視のため博爾済吉氏推し、なかでも科爾沁(ホルチン)部。皇太后在位六十年、中国史最長記録保持。この人へのあたりの強さなど、順治帝のイメージが悪い。いろんなドラマの時代にご存命のはずで、登場してほしいなぁ。

・孝献皇后・董鄂(ドンゴ/とうがく)氏
   側室、死後追尊。順治帝最愛の妃。満州八旗出身でかなりの名門。俗説で当時の名妓と混同されるが年齢的に無理。ちなみに他の二人にある順治の「章」が彼女だけ入れられてない、神牌(日本で言う位牌)も皇后の列でなく、皇貴妃の列。妹の貞妃董鄂氏は順治帝に殉死した。皇家でも嫁姑の争いは恐ろしい。

・孝康章皇后・佟佳(ドンギャ)氏
 慈和皇太后
  側室、康熙帝生母。拾旗=皇帝生母や皇后を出すと八旗のうち下五旗所属の場合、出身氏族だけが上三旗に引き上げられた。しかもこの方は漢軍八旗から満州八旗へ入れられたので、破格の扱い。太后になり二年で逝去。漢人の佟氏、賜姓ですが、満州八大姓に入る佟佳氏さんもいるあたりわかりにくい。

聖祖仁皇帝(康熙帝)
・孝誠仁皇后・赫舎里(へシェリ)氏
  初代皇后。大婚で皇后になった元配妻子(初婚の妻)。結婚時は十三歳、康煕帝は十二歳。二度立太子・廃太子された嫡長子・允礽の生母。産褥死、享年二十二歳。《龍珠伝奇》(2017)では悪役として登場。

・孝昭仁皇后・録祜禄(ニウフル)氏
  重臣・遏必隆の娘、努尔哈赤のひ孫。祖母は公主号剥奪された和碩公主・穆庫什。もと側室、二代目の皇后。「康熙王朝」に登場。赫舎里氏にひけはとらない出自・気質だが無子。病死するが当時は外藩三藩取り潰し騒動中で葬儀も質素。不運。

・孝懿仁皇后・佟佳氏
  重臣佟国維の娘、康煕帝の母方従姉妹。孝昭仁皇后没後、皇貴妃として後宮をとりしきるも、長らく立后なし。病床に伏し皇后冊立され実質一日で逝去。無子、一女あり※旧中国では娘がいても息子がいなければ「子がない」。

・孝恭仁皇后・烏拉(ウラ)氏
 仁寿皇太后
   側室、雍正帝生母。宮女出身、長らく格格(低位の妾)。そのため長男・胤禛(のちの雍正帝)養育はより高位の佟佳氏が行い、次男以降は手元におくも、後継争いでは長男(雍正帝)が次男(十四阿哥)を処刑し辛酸を嘗める。長男の雍正帝とは不仲だったらしく、長男即位後の皇太后封号さんざんことわったりもめたみたい。

康熙帝は追尊以外で立后するのは三人までとしたのか、それが単に慣例になったのか、このルールがのちに波乱を引き起こすことに。

世宗憲皇帝(雍正帝)
・孝敬憲皇后・烏喇那拉(ウラナラ)氏
   嫡妻、「甄嬛伝」の皇后のモデル。皇子時代から即位後まで唯一の正妻は貫禄たっぷり。雍正より四年ほど早くなくなり、息子も夭折。

・孝聖憲皇后・録祜禄氏
 崇敬皇太后
   側室、乾隆帝生母。「甄嬛伝」主人公のモデル。父親がためたお金を、乾隆がこの人への歓待と南巡で遣いまくったのが財政難を招いた気が。何人も産む妃嬪もいる中、息子一人でそれが登基とはとても福がある。通常顔合わせはない義父康煕帝からも特別に呼ばれ、息子を褒められたらしい。

※「甄嬛伝」の純元皇后は、烏喇那拉氏を姉妹二人に分離してキャラクター設定した結果らしい。朝鮮王后なら「純元皇后」がいますが。

高宗純皇帝(乾隆帝)
・孝賢純皇后・富察(フチャ)氏
   親王時代の嫡福晋、元配の皇后。ヒットドラマ《延禧攻略》では秦嵐が演じ、非常に重要な役どころ。早世するのでなんかせつない。乾隆子女はこの人の親戚と科爾沁部との婚姻が多い。《如懿伝》では悪役。

・継皇后・輝髪那拉(ホイファナラ)氏
  二番目の皇后。《還珠格格》での印象が強い。諡号なし、皇貴妃格の葬儀というという屈辱。廃后されて諡号はある順治静妃とどっちがましか。長年、烏喇那拉氏と言われてきましたが、輝髪那拉氏。《延禧攻略》では事実そうなっていて、これから変わって行くのかな。《如懿伝》主人公の原型。

・孝儀純皇后・魏佳(ウェイジア)氏
   側室、嘉慶帝生母、息子即位後の追尊。漢人、内務府包衣出身。《還珠格格》の令妃。清朝后妃で最多の四子二女の母。《延禧攻略》の主人公だが、息子が即位するのは彼女の死後二十年。ドラマは生前最高位の皇貴妃になって終。《如懿伝》悪役の衛嬿婉の原型でもある。

仁宗睿皇帝(嘉慶帝)
・孝淑睿皇后・喜塔腊(ヒタラ)氏
  嫡妻、道光帝生母。北京入場後の皇后で皇帝生母ともなったのはこの人だけ。十四歳で結婚し、夫の即位に伴い立后され二年で逝去。

・孝和睿皇后・録祜禄氏/恭慈皇太后
 二代目皇后。孝淑睿皇后の死後、皇貴妃として後宮を統括し、立后。ご長寿で七十五歳まで生き、皇太后へ。二子一女がいるが、娘は夭折。

※番外編
 最高位は皇貴妃ですが、《金枝欲孽》の皇后のライバル如妃、モデルは恭順皇貴妃・録祜禄氏。13年《金枝欲孽弐》でご健在。「如妃」の「如」が徽号、「恭順皇貴妃」が諡号。演じる鄭卒曼さんも好き。

宣宗成皇帝(道光帝)
・孝穆成皇后・録祜禄氏
 生前は嫡福晋だが、道光帝即位前に死亡し追尊。しかし皇長子で嫡長子の嫡妻という事は期待が大きそう。死後、墓地が浸水する不運に見舞われたらしい。

・孝慎成皇后・佟佳氏
  結婚時は側福晋、その後継室となり嫡福晋へ。しかし即位前に物故し死後追尊。乾隆の長寿がこのへんに響いたか。一男一女をもうけるも二人共夭折。

・孝全成皇后・録祜禄氏
  側室、孝穆成皇后の姪、咸豊帝生母。息子の即位で皇后追尊。息子と恭親王が異母兄弟で後継争い、自身は急死したこともあって自殺説、処刑説など噂が絶えない。

・孝静(成)皇后・博爾済吉氏
 康慈皇太后
   側室、恭親王生母、死後追尊。咸豊帝を養育、咸豊帝と恭親王バトルの結果か、嫡妻でも生母でもなく追尊皇后、皇太后になったのは清朝ではこの方のみ。

文宗顕皇帝(咸豊帝)
・孝徳顯皇后・薩克遠(サコダ)氏
  咸豊帝の初代皇后。皇子時代からの嫡妻で初婚のお相手=元配といって、嫡妻の中でも一番格上。死後、のちの東太后が側室から繰上げ。

・孝貞顕皇后・録祜禄氏
 慈安皇太后
  二代目の皇后、東太后。同治帝嫡母。家格としては西太后と同じくらい。当時の規範に従い文盲のため(女子は才無きをもって徳とする)、垂簾聴政では西太后が書面読み上げ担当。西太后の傀儡とみられがちだが、祖宗を犯した西太后お気に入り宦官の安徳海を処刑したりと、そんなに懦弱でもない。

・孝欽顕皇后・葉赫那拉氏
 慈禧皇太后
  側室、同治帝生母、西太后。咸豊帝生前は貴妃が最高位で懿貴妃。息子即位後の追尊。名門ですが傍流で実家は中流。妹は醇親王嫡福晋、その子、その孫を光緒帝、宣統帝とした。中国ではどちらかというと「慈禧」のほうがよく使われる。

穆宗殻皇帝(同治帝)
・孝哲殻皇后・阿魯特(アルート)氏
  大婚で皇后に。蒙古正藍旗出身、西太后にいびられ、字が読めたとはいえ学問が出来る程ではなかった西太后にしたら憎らしかったのかも。李翰林監督作品「一代妖后」(邦題/「続西太后」)で天井釣り。あれはフィクションですが…。父は蒙古旗人初の状元である崇綺、おばは同治帝側室。

徳宗景皇帝(光緒帝)
・孝定景皇后・葉赫那拉氏
 隆裕皇太后
  西太后の姪。大婚の皇后だが皇帝とは不仲。名前は静芬。溥儀の退位書にサインし、姑に当たる同治帝の四太妃と対立した。特に珍妃の姉、瑾妃とは不仲。写真を見ても、業績を見てもふてぶてしそうだし、四太妃も瑾妃は特に我が強そう。

宣統帝/廟号なし(※2019/06/18追記)
・皇后婉容/孝恪愍皇后郭絡羅氏
  天津育ち、ミッションスクールに通い現代教育を受けるも皇后に選ばれてしまう。清滅亡後は満州国皇后に招聘され断るが、だまし討で冊立。疲労から阿片中毒、最後は吉林省捕虜収容所で衰弱死。遺品をおさめた墓はあるが、埋葬場所はいまも不明。弟は溥儀の妹(三格格)と結婚。

by hungmei | 2014-03-22 00:24 | 2中韓古装電影・電視劇 | Comments(0)
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