人気ブログランキング | 話題のタグを見る

越劇・黄梅戯・紅楼夢 since 2006



宋の宣仁太后(韓国時代劇にて)

朝鮮王朝ものの韓国時代劇をみていると、垂簾聴政に関してよく「宋の宣仁太后」が引き合いに出されています。垂簾聴政をした最初の王妃は貞憙大王大妃でしたが、世祖の嫡妻であり、太子と王(イェジョン)の生母。イエジョンは即位時19歳で摂政は不要でしたが即位後急死し、彼女の嫡孫・成宗が即位。成宗生母はなき太子桃源君の嫡妻・粋嬪で、仁粹大妃として名をはせた昭恵王后。


姑/祖母の貞憙大王大妃、嫁/母の粋嬪。大王大妃は王妃になっていますが、粋嬪は太子が即位を待たず死んだため、厳密にいえば王妃になっていない。孫の燕山君時代に王妃でなかったことを理由にいろいろ剥奪されますが、次男の成宗が即位し昭恵王后という称号は得て、のちに仁粹大妃となります。このへんちょっと微妙なような。儒教原理で年長者を敬い、かつ嫡長男の月山大君でなく嫡次男の成宗を即位させた実力者の大王大妃なので、ハンミョンフェら元勲から垂簾聴政を依頼され、しぶしぶ引き受けることに。大王大妃は「私は字を知らないので、学のある粋嬪のほうが垂簾聴政に相応しい」と辞退しようとしたそうですが…。


ハンミョンフェが大王大妃に依頼するときに宋・宣仁太后の垂簾聴政を習いとして言及し、それ以来祖法として文定王后、貞純王后などと生/嫡母に関わらず、幼王や緊急事態には垂簾聴政がなされるようになりました。そこで疑問だったのですが、なぜわざわざ宗の宣仁太后なのか。当時の儒学者からしたら当然なのかもしれないけど、わからないなりに考えてみました。宣仁太后より前の時代でも権力を握った后はたくさんいたよな、と。






まず地元・朝鮮半島ですが、高麗までは儒学が基盤でないため除外。むしろ黒歴史とばかりに記録をむちゃくちゃにしたくらいだし。そして儒学の本家・中国。神話時代は舜堯や三皇五帝と理想的な政治が続いて垂簾聴政はない。殷周秦もあまり思いつかない。それどころか妲己に襃似に始皇帝生母とか、権力は掌握したかもしれないけど悪役が多い(私は面白いと思いますが)。次は漢。大帝国で中華を統一はしましたが、呂后や竇太后や、やっぱり専横を極め外戚が跋扈したり皇帝を押さえつけたり。王(政君)皇后にいたっては、本人は望んでいなくとも、甥が帝位簒奪して前漢を滅亡させたし。後漢は馬皇后、陰(麗華)皇后と賢后はいるけれど、垂簾聴政はしていない。


五胡十六国時代や南北朝時代だと鮮卑など漢族以外の王朝も多く除外。しかも遊牧民族国家であるレビート婚など、父系血統絶対視の儒教からしたら噴飯もの。唐になると則天武后が自ら皇帝になり周と国号を変えてしまい、皇帝を毒殺するわ皇女たちが政治に積極的に参与し、儒学からしたら望ましくなさそう。五代十国時代は…どうなんだろう。そして北宋が建国され、遼や金に圧迫されながら、都を南下させなんとか南宋に。宋といえば、劉太后の李宸妃への虐待(換太子)の印象が強いです。後は南宋・光宗の李皇后の嫉妬深さとか。元はモンゴル帝国なので除外。明は後宮の品格が下がり、賢后や皇帝の見栄えがせず、時代が下がるにつれ宦官の専横が顕著に。考えてみても、太祖の后妃殉死強制や、成化帝寵姫・万貴妃の専横、皇帝が房事や道教に走り印象が悪い。


宋代が特に優れた政治や后妃に満ちていたのかは微妙。理知的だとか剛健とは言われますが。統一王朝で漢族で朱子学が興隆して、というのが良い?宣仁太后・高氏は、王安石を重用し改革を目指した宋7代神宗の母でしたが、次代・8代哲宗の時代、「元佑の更化」といわれる改革新法排斥の先鋒にちました。1085年の哲宗即位時は幼帝のため宣仁太后が摂政し、前代・神宗の20年にわたる改革を無効に。この時の元号が「元佑」。1093年に宣仁太后は亡くなり、哲宗の親政が始まると父・神宗の新法を復活させますが(紹聖の紹述→元号が「紹聖」の時期に行われた「紹述」=継承)、失敗しかえって政治が乱れたそう。宣仁太后の改革NGで祖法を守るところがいいのか、外戚がはびこらなかったとか・・。


ちなみに新法党は王安石で、旧法党に蘇軾がいます。文学で名高い二人が政治家でもあるのが中国らしい。蘇軾は失脚しますが宣仁太后により恩赦を申請されています。春秋戦国時代はよく知らないし、三国時代も賢后というイメージでないし(女流文学者は多いが)、隋は短くて。大雑把にもほどがある記事ですが、興味があったので、覚書。それと摂政と称制と垂簾聴政と臨朝の違いがよくわからないような。きっと定義がちゃんとあるんでしょうね。朝廷に出るかでないかとか?出るから御簾をたらして政治を行うんだし。宋代なら、曹皇后や劉祐太后も垂簾聴政で堅実なイメージなんですが、宣仁太后より後で南宋になるからなあ。今からするとマイナーな気はするけど、貞憙大王大妃の頃なら、まだ近いですね。

考えたら、明で垂簾聴政ってあまりないのかも。卑賤な出自の后妃が多いし、宦官も台頭しているし、后妃は皇帝に付随した一代限りの栄誉な感じがする。それも前向きにとらえればフレックスななのかな?
by hungmei | 2013-04-08 16:20 | 2中韓古装電影・電視劇 | Comments(0)
<< 韓国ドラマ「アイドゥ・アイ... 「王妃たちの朝鮮王朝」(2011) >>


鑑賞作品レビュー、視聴検討作品の備忘録 ※最近レビューできてません…

by 黄梅(hungmei、koubai)
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
検索
カテゴリ
最新のコメント
> 寒鸦さん すみ..
by hungmei at 16:17
偽君子さま コメントあ..
by hungmei at 05:45
初めまして。興味深い1ペ..
by 偽君子 at 21:37
ご教示ありがとうございま..
by hungmei at 11:11
1921年、ファン・イメ..
by ミセス・ジョーンズ at 23:10
割れてますね、たまにww..
by hungmei at 14:32
記事ランキング
関連サイト
【過去記事】
2006~07年

【地方戯】
日本秦腔網
江南春琴行

【紅楼夢】
宝玉くんのべんきょう部屋
河北正定栄国府(中文)
電釈紅楼夢
紅楼夢@

【中国時代劇】
古装劇場