最近、心身、公私とも諸事情により放置したこのブログ。この記事も3ヶ月近く放置しましたが、いい加減準備が揃うのを待つと終わらない、と見切り発車で描いてみました。いつも適当ですみません・・。
①后妃出宮
李氏朝鮮では、死んだ王の后妃は正室以外、実家に戻るようです。世子(王位後継者)の生母だったりすれば話は違うかもしれませんが、ドラマでは「王の女」で14代宣祖の寵愛を集めやりたい放題だった仁嬪キム氏がキム尚宮との争いに半ば破れ実家に帰っていたのが印象的です。また、その際、世子以外の王子も母に付き従うかのような演出でした。いつごろからのルールかわかりませんが、9代成宗側室のチョン・オム両貴人はなぜか10代燕山君時代に宮中にいますし(そして燕山君によって惨殺されるのはいろいろなドラマでおなじみ)、パワーバランスもあるのか11代中宗の妃・昌嬪安氏(※)は文定王后に気に入られ中宗死後もしばらく宮中に残ったようです。
②王子出宮
しかし、王子のほうでは世子以外は結婚すれば宮中を出て、屋敷を構えるのが普通のようです。そうすると生母が出宮したタイミングで王子の屋敷に引き取ったりするのでしょうか?清朝でも王子は有る程度の年齢で宮中から出て屋敷を構えるような印象がありますが、4代雍正帝の「太子密建」で王位後継者は今上帝が死ぬまで不明なので、李氏朝鮮のようにはいかないのでは・・?どうなるのか興味有りです。公主も、結婚すると公主府に移り住みますよね(王府が皇子、皇族の屋敷)。
※生前の地位は格下の昭容ですが、孫が14代宣祖になったため死後、追号。ここで疑問ですが、19代粛宗の側室で非常に低い身分だった淑嬪チェ氏。彼女は21代王の生母ながら、王后とは追号されず、嬪のままですね。清朝だととりあえず息子が皇帝になれば生母は生前の地位を問わず皇太后になれる印象があるのですが(西太后夫と恭親王の間で少しもめたけど)、李氏朝鮮では王の生母でも王后とは追号されないのですか?チャンヒビンの場合は、嬪待遇で埋葬されるのが温情なくらいやらかしちゃったかわかるけど・・・。雅号(?)の違いはあれど、皇帝の子供が公主(格格)/皇子(阿ge)で統一されている清朝に比べて、李氏朝鮮だと母の身分で公主(嫡出)/翁主(庶出)、大君/君でわけてあるのが、厳格なイメージです。
というわけでまとまらないまま終了。
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