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頤和園、西太后、乾隆帝、満漢全席

2013/09/24 える様のご指摘により誤字訂正いたしました。

気付いたらHD録画にNHKハイビジョンで中国の女傑だの、庭園だの、食文化だののSP番組がやたらにあり、ほとんど清朝のものだったので面白く見てしまいました。家族が録画したんだろうか。女傑は西太后を、庭園は頤和園を、食文化は満漢全席。西太后や満漢全席はいわずもがな、頤和園は北京郊外にある東京ドーム58個分の庭園というか夏の避暑用離宮で、西太后が引退後住んだことで有名。

というわけで、昨日ー今日と頤和園について録画でやた見た。これが2010年の年明けかー。頤和園は18世紀に清朝4代乾隆帝という自信過剰な皇帝が、自分の生母(皇太后、先帝の側室)のために湿地帯を開拓し大庭園を造ったのが始まり。満州族は北方出身(東北三省-黒龍江省、遼寧省など)のため、北京のくそ暑い夏が苦手で、この庭園は夏の避暑に(また多くは遊びに・・、逃避に・・)利用されました。

でもこれを聞くたび、西太后くらいになれば北京に順応して(移り住んで300年近くだぞ)、単に体質じゃなくて誰でも北京の夏は暑いと思うんだけど。まあ、成り立ちの話でしょうか。西太后と頤和園の番組がいまいちで(すいません)、面白かったのは満漢全席の番組だったかな。今の満漢全席は商業用に開発されたもので、番組ではその時流に逆らい清朝史家の考証をもとに史書から再現。たまりません。

頤和園は清朝末期にロシアやイギリス、ドイツ日本オーストリアなどの連合国軍に焼討ちにあい、宝物は盗まれ建物は壊され、再建まで30年近くかかったのですが、それにしても今テレビで見る頤和園の建物、塗料はげすぎ。中国の観光地の建物って、映画やテレビドラマの人気にあやかりフィクションの演出を取り入れるかと思えば(例えばチャンイーモウの「紅夢」ロケ地山西省の赤い灯篭とか)、建物保存状態に疑問が。

北京大観園という、ドラマロケ・観光用に古典小説の中に出てくる庭園(というかこれも人が住む建物が分散)も、趣の違う本物の歴史的建造物も、あんな塗料がはげてていいのかっ?きっと大事な民衆のところに予算がまわっているのですね?テレビ見ながら解説よりも建物の塗料のはげ具合に目がいってしまったのでした。だって気になる・・。ちなみに中国時代劇を見ていても結構なところでロケをしているので、CGなんかで誤魔化してる場合以外はげてるのが見えてオイオイと思う。

それから頤和園の敷地、3/4が湖と初めて知りました。ずっとすんでたらすごい寒そうなんだけど・・。しかし紫禁城みたいな牢獄チックなとこにずっといたくない気もするし、森と湖は大事かもですね。頤和園といえば乾隆帝と西太后だけど、乾隆帝は清朝最盛期の皇帝といっても「この皇帝が金使いすぎて後苦しくなったんじゃ・・」という印象があり、祖父の康熙帝や父の雍正帝のほうが好きです。国母ったって皇太后のためにこんなにお金使っていいのね。すごいね。しかも人工の湖ですよ。

西太后は幼少時代にリュウシャオチエン主演のホラー娯楽映画「西太后」を見てから、ずーっと好きなキャラクター(とあえて言ってみます)ですが、成長して関連書を読むにつれ「あの映画はフィクションだらけだったのか」と思いつつ、今回の頤和園シリーズ(勝手に命名、なんか一回のロケで全部まかなってそう)を見た限り、一日に何回もお目しかえだわ皇帝より多い120品の食事だわ「国家が危機のときになに無駄遣いしてんだこの・・(以下自粛)」とちょっと呆れ。でも本当は朝会用の着替えとか、残りを奴隷にやるとか・・。

でも浪費がスゴイ・・汽車も専用の作らせたし。頤和園には蘇州街という、江南地方に生母と乾隆帝が旅行したときの風景を再現し、宦官や宮女の奴隷たちが町人に扮するという究極のプレイつき♪西太后も仏さまに扮したりの写真が700枚で、光緒帝(自分の甥)には「チンバーバ=実のお父さん」、周囲には「ラオフーイエ=仏様」と自分を呼ばせ、奇行?が面白い。また番組では中山時子先生(日本で最後の旗人=清朝特権階級、の言葉を話せる御茶ノ水大学名誉教授、紅楼夢のメニュー再現も)が活躍しておりました。
by hungmei | 2010-01-29 23:57 | 2中韓古装電影・電視劇 | Comments(17)
Commented by ウネ at 2010-01-30 00:25 x
初めまして<(_ _)>
蒼穹の昴を見て、ラストエンペラー以来の西太后を見ております。
こちらで色々な形で知識が得られ非常にうれしいです!!
Commented by hungmei at 2010-01-30 07:50
ウネさま ようこそ♪
こちらこそ初めまして。ヨロシクお願いします(^O^)またコメント有難うございました!とっても嬉しいです。

拙いブログですがお役に立てたのなら何よりです。我が家ではBSが入らずドラマが見られないのですが、
Commented by hungmei at 2010-01-30 07:53
(続きです)西太后役は田中裕子さんですよね~怖い迫力あるイメージの役だから、困り顔の田中さんの演技、見てみたいです!

またお時間ありましたらぜひ遊びにいらして下さいませm(_ _)m
Commented by ウネ at 2010-01-31 00:39 x
こんばんは<(_ _)>
確かに田中裕子さん困り顔ですよねヽ(^。^)ノ
中国語が出来るの?超凄い!って見入ってました。
でも話してる口の形と中国語が違うんすよ・・・吹き替えみたい。。
西太后は確かに迫力ありますよね!!
もしあれば若い頃の写真とか現存してたら見てみたいなぁ。
Commented by hungmei at 2010-01-31 09:28
追記、出典を忘れましたが(すみません)、歴代皇太后に対する呼びかけや話しかけ方は男性皇族と同じで皇后以下女性皇族と違うと気いたので、西太后が光諸帝にチンバーバワと呼ばせたのもある程度は妥当性がある‥のでしょうか。
Commented by hungmei at 2010-01-31 09:37
ウネさま おはようございます!

田中さんは吹き替えですか。仕方ないですが少し残念ですね(T_T)しかも口の動きと違うとは‥スタッフさん、頑張って下さい!

西太后の若い頃の写真はおそらくない(見つかっていない?)のではないかと思いました。西太后ならよく本で読みましたが、掲載される写真は専ら光諸帝時代のものです。

特に拝外政策から一転し外国文化にこり始め、フランス育ちの徳齢姉妹をかわいがったあたりの有名な一群の写真たち(笑)

新書で「西太后」を書いた学者の加藤説によると、老年期の写真から判断して西太后は若い頃は清朝后妃のうちでは美人、とありました(爆)
Commented by アヤ at 2010-02-07 23:13 x
田中太后、なかなかいいですよね。吹き替えのズレは気になりますが、あれが限界ですね。きっと。

伝えられてるものが悪女一色なだけに別の一面を出していて楽しめます。養女のミセス・チャンというのは架空の人物なのでしょうか。

宦官のなれの果ての巣窟は衝撃的でした。
Commented by hungmei at 2010-02-11 07:15
アヤさま おはようございます!

レス遅くなりましてすみません。。。。
田中太后、いいカンジですか^^見てみたいなあ。
きっとDVDにもなるでしょうし楽しみにしています。

最近、西太后研究が進んできて(没後もうすぐ100年ほど
ですし)、従来の悪女イメージは稗史によるものも大きい、
となっているようです。まあ、皇帝にかわり権力掌握した
女傑であることは変わらないのですが。そうそう、このテレビ
でも言っていましたが、西太后は武則天のように皇帝になり
たかったんではなく、乾隆帝生母の皇太后のようになりたか
った(=お誕生日の盛大なお祝いにこだわったのもそのため)
ではないか?ということが言われていました。面白いです。

Commented by hungmei at 2010-02-11 07:15
宦官のなれの果ての巣窟ってどんなところだったんですか??
引退した宦官の末路かな。それとも・・

養女チャンですが、聞いたことがないです。ただ、あの時代の
清朝の、日本語で訳すところの「養女」は、何となく日本語
のニュアンスと違う気もします。日本で養女なら完全に親子と
して認識されますが、清朝の「養女」だと、単なる娘分とか、
極端に言ってしまえば単なる「近所のお嬢さんで生まれた頃か
ら見てきたから親代わりみたいなもん」くらいのニュアンスと
いうか。。。

とにかく実子と養子の待遇が近いのが日本、遠いのが清朝ではな
いかと思っています。でも養女チャン、いたのかなあ。わからなく
てスミマセン!
Commented by アヤ at 2010-02-12 00:40 x
皇帝になって武則天のように国を牛耳りたいとばかり思ってました。実際は違ってたら汚名返上ですね。あの昔見たリュウ某の演じたコワ~~イ西太后が定着してるもので・・。

ミセス・チャンなる女性は史実では8代皇帝道光帝の息女で寿安公主とか。でも、ウィキで見ましたから、信ぴょう性は・・?!

ドラマでは、礼に適った宮廷服(髪も結って)で参内して、西太后に歓待されています。賢いのでお気に入りのようでしょっちゅう出入りしてます。

珍妃も先週初めて出ましたが、可愛いくて納得です。井戸に投げ込まれるシーンはあるのでしょうか。

その路地裏の暗い場所は、寵を失ったり、何かで円満退職できなかった宦官達が肩寄せ合って生きているところのようでした。、皆、身なりもみすぼらしく髪はぼうぼうでうつろな目をしてじっと座ってました。

ちなみに、無事に定年まで(あるのかな)勤め上げた宦官はどういう生活を送ったのでしょうか。黄梅さん、ご存知ですか。

Commented by hungmei at 2010-02-12 14:51
アヤさま

こんにちは!

宦官は清朝の場合、円満退職すれば①実家に戻る、②お寺や道観(=道教のお寺)に入る、③出世した宦官は財産でウハウハ暮らす・・みたいな感じです。終身制ではないので、特に病気とかにならずとも希望退職も出来るみたいです。

ドラマではよく寵を失ったもと妃嬪や宦官を閉じ込める部屋が紫禁城中にあるような演出があるのですが、実際はよく知らないんです。またしてもゴメンナサイ・・。一応、皇帝が代替わりすると、先帝の妃嬪は皇太后を除き皆さん日陰のみになり(笑)お引越しはします。そして新帝の妃嬪たちにそれまでの部屋を譲りますが、先帝の妃嬪の新居が特にボロということはないです。単なる配置換えみたいなもので。

ただ、宮廷内部で「殺すほどでもないが外にも出せない」秘密を見聞きしてしまったりetcで処遇に困った人たちを監禁する部屋・・普通に(?)考えてありそうですよね。あれだけの規模の宮廷を運営するんですから・・。
Commented by hungmei at 2010-02-12 15:00
そうそう、北京には、もと「引退した宦官ばっかりだった寺」なんかがあるみたいですよ。清朝末期の宦官の手記などに名前が出てきます。つまり身寄りがなかったり、いまさら実家に帰れない人は寂しくお寺入り、という感じでしょうか。

ミセスチャンは道光帝のお嬢様なんですか。それなら、西太后
からしたら義理のいとこ・・かな(義父の娘)。西太后のだんな
さまのお父様が道光帝なので。儒教で拝行(=一族内の世代)に
うるさいから、いとこを養女にするってぴんときませんが、
皇族の娘を皇太后やらの養女にすることはあったみたいだし、
史実なんでしょうかね?きになりまーす!

Commented by hungmei at 2010-02-12 15:00
こわーい西太后イメージは特に劉慶暁(リュウシャオチェン)の
リーハンシャン監督作品によるところが大きいですよね!
ベネチアで賞もとったし、日本でもかなり流行した記憶が・・・
その頃小学生で、同年代の人と話すと、西太后映画の残虐シーン
はよく話題に上ります。ちなみにあれ、半日的な内容も多いん
ですが、日本版から(やっぱり?)カットされまくってますね。

珍妃の井戸は、以前「現物」を見ましたが、細い人でも入れる
のか激しく疑問な井戸でした。場所は往時から変わっている
そうですが・・。そうそう、西太后見てると、清朝で皇子皇女
に嫡庶で呼び名の変化はそれほどないのに、李氏朝鮮でばっちり
「大君/君」「公主/翁主」とわけてあるのが新鮮です。

清朝、直系相続だけど嫡出相続じゃないし・・・・
Commented by hungmei at 2010-02-12 15:06

西太后は、例えば武則天と違い同治帝(実子)にも光諸帝
(甥)にも親政をさせ、引退しているんですよ。で、頤和園
で乾隆帝生母のようにみんなに敬われながら、娯楽にふけって
生活したかった説が今は有力みたいです。

同治帝は早死にするし、光諸帝は急激な近代化政策に失敗し
西太后が出てきますが、本人の意思+環境のせい、という気も
個人的にします。あと、ちみっちょいのが、東太后より自分が
格下なのが相当悔しかったようで、皇后だった彼女をさしおいて
皇貴妃(皇后の次、ナンバーツー)だった自分のほうの墓を
礼法を無視して大きく作ったりして(笑)。わかりやすいです。
Commented by アヤ at 2010-02-27 14:07 x
TVで見ましたが確かにお墓はすごいですよね。いつかは珍妃の井戸とともに訪れたいものです。

伝えられてるように東太后の死にも関与してるのでしょうか。先帝の信任も厚く我が子もなついてたというから、いつかは・・と思ってたのでしょうね。

呼び名でも儒教の発祥である中国よりも李氏朝鮮の方が厳格というのは興味深いですね。

いろんなことが中国~朝鮮から日本へ渡ってきてますが、この宦官だけは定着してないのも面白いです。

尤も、寺社仏閣、貴人、武家社会の間でもお稚児さんや寵童の癖、男色の歴史は長いのに、つまりは政治的な力は持たせなかったということかなぁ。確か、柿本人麻呂もと何かで読みました。笑。
Commented by hungmei at 2010-02-28 12:04
アヤさま ようこそ!

柿本人麻呂といい、歴史上の人物ではやたらといますね。女性のほうが伝わらないのは残念ですが(笑)

東太后は病死説のほうが有力みたいですよ(^O^)同治帝の梅毒死亡説と並び、当時のご典医による病状記録の研究だと、症状から帝は天然痘でほぼ間違いなく、東太后は何だったかな(スミマセン~)循環器系のご病気だそうです。

ちなみに西太后も43歳で一度死にかけたので(病気)、当時の平均寿命から考えても死んでたらかなり歴史が違っていたかもですね~宦官が日本で根付かなかったのも面白いですよね。個人的にすごく興味有りです^^

大奥なんかは男性医師も入れるみたいだし・・まあ中国韓国もそうなんであけど、厳格さが違いますし、糸脈とか、それでわかるの?と、疑問な私です。

お墓は清朝が倒れてすぐ盗掘されてしまい中はあらされたみたいですね。今はどうなっているんでしょう。ちょっと管理が心配・・
Commented by hungmei at 2013-09-24 20:49
アヤさま

そうそう、清朝が倒れ100年たったのでついに「清史」が発行されるはず、らしいのですが、光緒帝の死因はヒ素中毒に公式に認められたそうです。毒殺ですね。コワー。天然痘説が長らく有力だと思っていましたが、遺体を分析し髪の毛から高濃度のヒ素を検出できたそうです。
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